フォリーの丘エリア
ふもとから頂上までの高低差約70mの芝生が広がる見晴らしの良い丘。435段の長い階段の頂上には「天・地・人のフォリー」がそびえます。
丘にはポプラが生え、ディスクゴルフも楽しめます。
冬には長さ150mのソリゲレンデになり、ソリやスキーなどが堪能できます。
かつてこの場所には山城「片刈城」がありました。


地の陣休憩所
フォリーの丘への階段わきにある休憩所。
休憩所の外観は、新潟市にある旧新潟税関庁舎をモチーフにしています。


アジサイ園
地の陣休憩所裏の山側斜面には、18品種約18,000株からなるアジサイ園があります。
6月下旬~7月の中旬にかけての梅雨入りの時期に色鮮やかに開花します。
フォリーの丘への階段または暖の館から彩の小径を通ってアジサイ園を周遊できます。


ディスクゴルフ
ディスクゴルフとは、ゴルフのボールの代わりにフライングディスクを使用し、バスケット型の専用ゴールに、何投で投げ入れることができるかを競うスポーツです。

天・地・人のフォリー
緑の千畳敷から435段の石段を登りきった丘の上にそびえ立つ「天・地・人のフォリー」。
本公園の基本テーマである「天・地・人」を表現したユニークな建物です。
「天」を表す塔は高さ17.5mあります。塔には休憩所があり、その周辺にはカリヨン(鐘)があります。


フォーリーとは?
18世紀イギリスで流行した風景式庭園に用いられた“風変わりなもの”を指したのが語源と言われています。
天・地・人とは?
天・地・人とは儒教にいう三才であり、孟子が出典元になります。天・地・人という宇宙の構成要素全ての協調が繁栄をもたらす、というものであり、当公園は、「天に学び地に遊び人と集う越の里」をテーマにしております。
片刈城址
「天・地・人のフォリー」がある「フォリーの丘」の場所には南北朝時代あるいは応永年間(1394年〜1428年)頃築城と想定される山城「 片刈城」がありました。
天正6年(1578年)、上杉謙信没後に起こった相続争い「御館の乱」の際、当代片刈城主であった 森佐門之助光矩が上杉景虎方についたため、NHK大河ドラマ「天地人」の直江兼続が仕えたことで知られる上杉景勝方の諸将に攻められ、落城の日には妻子を殺害して激戦討ち死にしたという逸話が伝えられています。
城跡は、昭和57年のニュータウン建設にともない全域を発掘調査した際に、城の区画を表す曲輪や空堀、土塁、当時の武器と思われる石つぶて(10cm〜15cm円形の石)」の集石等の発掘により確認されていますが、現在遺構を見ることはできません。
越後丘陵公園の周辺にはその他、甘粕近江守長重(景持)の居城と伝えられる枡形城や、岩野城、高寺城、羽黒城、鷹射山城などの城跡があります。

現在、頂上には「天・地・人のフォリー」がそびえ立つ。
場所
新潟県長岡市高頭町大山甲532、533、571番地
概要
- 片刈城。別名牛ヶ首城。
- 丘陵を刻む2筋の開析谷に挟まれた標高198mの小尾根上に立地。東西60mの小型山城。山頂の主郭をなす本曲輪と考えられる2本の曲輪を中心に、北・東・南の尾根に1本ずつ空堀が掘り切られており、北東側斜面に階段状の遺構が認められた。曲輪上や周囲の斜面の溝覆土中より焼土や炭化物が出土している。北および北東に対する展望がよく、狼煙を第一の使命としたとの説もある。
発掘調査で検出されたもの
12段の曲輪、各1基ずつの土塁状遺構及び階段状遺構、3本の空堀、5基の集石、12基の土壙、6本の溝、21基のピット
引用参考文献
新潟県教育委員会 1977 「長岡ニュータウン遺跡分布調査報告書 I」
新潟県教育委員会 1983 「長岡ニュータウン遺跡発掘調査報告書 V 片刈城跡」
山崎昇 編著 1982「長岡の歴史散歩 -知られざる文化遺産をたずねて-」長岡郷土史研究会