片刈城趾(城跡)

天地人のフォリー」がある「フォリーの丘」の場所には南北朝時代あるいは応永年間(1394年〜1428年)頃築城と想定される山城「 片刈城かたかりじょう」がありました。

天正6年(1578年)、上杉謙信没後に起こった相続争い「御館の乱」の際、当代片刈城主であった 森佐門之助光矩もりさもんのすけみつのり が上杉景虎方についたため、NHK大河ドラマ「天地人」の直江兼続が仕えたことで知られる上杉景勝方の諸将に攻められ、落城の日には妻子を殺害して激戦討ち死にしたという逸話が伝えられています。

城跡は、昭和57年のニュータウン建設にともない全域を発掘調査した際に、城の区画を表す曲輪くるわや空堀、土塁、当時の武器と思われる石つぶて(10cm〜15cm円形の石)」の集石等の発掘により確認されていますが、現在遺構を見ることはできません。

越後丘陵公園の周辺にはその他、甘粕近江守長重(景持)の居城と伝えられる枡形城や、岩野城、高寺城、羽黒城、鷹射山城などの城跡があります。

写真:フォリーの丘

片刈城のあったフォリーの丘。現在、頂上には「天・地・人のフォリー」がそびえ立つ。

場所
新潟県長岡市高頭町大山甲532、533、571番地
概要
片刈城。別名牛ヶ首城。
丘陵を刻む2筋の開析谷に挟まれた標高198mの小尾根上に立地。東西60mの小型山城。山頂の主郭をなす本曲輪と考えられる2本の曲輪を中心に、北・東・南の尾根に1本ずつ空堀が掘り切られており、北東側斜面に階段状の遺構が認められた。曲輪上や周囲の斜面の溝覆土中より焼土や炭化物が出土している。
北および北東に対する展望がよく、狼煙を第一の使命としたとの説もある。
発掘調査で検出されたもの
12段の曲輪、各1基ずつの土塁状遺構及び階段状遺構、3本の空堀、5基の集石、12基の土壙どこう、6本の溝、21基のピット
引用参考文献
新潟県教育委員会 1977 「長岡ニュータウン遺跡分布調査報告書 I」
新潟県教育委員会 1983 「長岡ニュータウン遺跡発掘調査報告書 V 片刈城跡」
山崎昇 編著 1982「長岡の歴史散歩 -知られざる文化遺産をたずねて-」長岡郷土史研究会

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